写真家〜秋山庄太郎の場合

写真家、秋山庄太郎の生前がテレビで放映されていた。
インタビューで、言っていたことは、


「自然の姿を撮る、それが平凡だが、長く飽きられない」
「写真家個人の視線で撮ったものは、いい写真じゃない」


撮るときに、百万人の読者がグラビアを見る視線を忘れていない。
そういうサービスの意識、、、があると思った。
できるだけ多くの人が見られる写真を心がける。
(日本人特有の眼というか、、良い意味での大衆性か)


女優を撮らせたら一番、という評判があったそうで。
往年の女優達の写真は、みな、その人固有の姿が写されている感じ。
女優の表情と共に、個性が自然に見える感じ。
当然、その時代が求める女優像、似た顔立ちが揃うが、またそうでもない。
それぞれの美しさを、微妙にとらえている。


見た目を美しく、変わったアングルで、上手く写すテクニックはあるだろうが、
自然の妙というか、生まれつきのバランスを何気なく、構成演出する技術などは、
どんな芸術でも、簡単には習得されないんだろうね。。。


作者自らが飽きない、鑑賞者に飽きられないというのは、芸術・芸能にとって、
大きなテーマだろうが、それにはまず、
自然な感情表出についてどう思っているか、が一つのポイントになるだろうか、
とくに我が国の場合。
力んでいないというか、それでいて熱がこもった状態からの言動、作品。
(そういうのって、日本ではあまり見られないから)
(写真家だって、それがあるからこそ女優の表情を引き出せるわけで)

(反対に、飽きられようが何だろうが、ただ突進する訳の判らない方たち...)
(にも関わらず、それを自慢するのだけは辞めてね、ホントーに)


まあ、だからといって、自然さが必ずしもうまく行くわけではないのが現代で、
わざとらしい、ヒステリックなパフォーマンスの時代でもあります。
(それを見せないようにするテクニックもあるらしくて。即バレだけどね)
(いつも空回りして…)