赤ん坊誘拐と日常のすき間に

赤ん坊が誘拐、無事に戻ったが、この数日間気になった方も多かっただろう。
私もその一人で、ニュースをケッコー見ていた。
この寒空、一体どこでどんなふうに過ごしているかと思うと、気になった。


犯人は捕まり、3人の男女が関与していたとのこと。
赤ん坊は、フィリピン女性によって世話されていたようだ。
(ちゃんと面倒は見たようだね、少し体重が増えていたと言うから)
身代金誘拐らしく、消費者金融で金に困っていたとのお決まりの線。
主犯格、周囲に住む人達によると、そんなことをする人ではなかったと言う。
幼稚園のPTA会長を数年前にやっていて、まさか、という反応。


ほとんどの犯罪がそうだろうが、普通の人間というか、どこにでもいる地域の人達だろう。
たまに起きる、極悪犯のような、ちょっと普通からかけ離れたタイプは少ない。
そういうタイプは、大体が経歴持ちで、地域社会にはあまり所属していないはずだ。
ムショ帰りとか、どこかの組所属とか、外国人とか、お目にかからないタイプだろう。


まさか、、、というのは、そうでなくて自分と同じ社会に所属し、傍に住んでいる。
まあ、そんなことは当たり前だろうが、だからビックリしてしまう。
自分ならそんなことしないし、普通に生活していたらあり得ない、と思うから。
隣にでも住んでいたら、もう、オドロキの連続で、感心していたりしてね…
(自分はあり得ない、という安心と)


フダン、非日常が少ない、いや殆ど無くて、日常の中でそれが求められている。
変わったニュース、事件、出来事などが、何でも良いから起きることが。
それで、気分を紛らわす、日常の倦怠を忘れる、という意識がどこかにあるのではないか。
それを助けているのが、そしてそれで儲かっているのが新聞、テレビ、週刊誌である。


インターネットだってそれで動くわけで、その手の事件がないと困るのだ。
芸能界の誰それが、あんなことをやったとかなどは、すぐに駆け巡る。
「まさかの出来事」「ハプニング」などが世界をつくっている、と言っても過言ではないかもしれない。
そういうことをもたらす人達に、とりあえず、感謝?!


アア…、安泰!
(しかし、そうやっている内にまたたくまに1年は過ぎ、社会は確実に、きな臭く…)