新米をクズ米にして喜ぶのは誰?

今年の米、豊作のようです。
少しは安くなる?と喜んだものの、どうやらそうも行かないようです。


平年より生産の多い米を過剰米として、エサなどのクズ米にする法律ができたそう。
(人に食べさせず、飼料にするソーですが…なんとまあバチあたり…)
米作農家は拠出米として、消費者に売るよりも安い値段で買い取られます。
そしてここもよくわからない、少ない生産の農家にも拠出米が割り当てられるとか。
つまり、農家も豊作貧乏で豊かにはなれないんです。
(それを無視した農家は、翌年ペナルティで作付け面積を減反される)
(そんな職業に、誰が就こうとするか?大切な主食づくりだけど)


政府は、米が過剰に出回り、その結果米価が暴落することを防ぐとしている。
なんなのだろう、これって?
チョンマゲ時代の米=貨幣だった時代ならいざ知らず、いくら米離れがあるとしても。
主食物の管理って、それほど難しいものなんだろーか?


そのへんの流通制度はわからないので、単純な発想かもしれないが、
豊作米を、作り手も消費側も、恵みとして受け取ることは無理なのだろうか?
天候によって沢山できたら、その恩恵を享受するのがフツーではないかな。
もしいくつかの理由があって(業界筋とか規制とか)、それが難しいのなら、
それを調整して、なんとかするのが政府じゃないのかね?
うまい米を皆で安く食えるように施策する、それが国じゃないのかい?


ずいぶんとこだわってますが、せっかくの自然の恵みを「よかったね」と、
喜べない社会なんだね、この国は。
(決して、欲張って無理に生産したわけじゃない、計画内でのことなのに)


それは個の発展を望まず、個人に犠牲を強いる考え方に通じないだろうか。
「やっぱりな」と思うけど、そんなフーに認めちゃうから好き勝手になるんだよね。
自分たちは、米喰わないか、それとも高ーいコシヒカリなのか知りませんが。
(ドングリの背比べを喜ぶ、そしてその陰でコソッと、、、)