ピーター・ジェニングス〜もう一方を見る

ピーター・ジェニングスの追悼番組があった。
米国、abcテレビのメインキャスターです。
今年、肺ガンでなくなりました。
アメリカ政府の外交政策というよりも、戦争に関わる姿勢、
アメリカ資本主義戦略を見張る、という視線を持っていたようです。


彼のイラク戦争報道は政府批判に繋がり、abcのテレビ視聴率を下げていく。
(だってあの当時、国民挙げて反イラクだった)
それは彼流の情報収集と、感情に流されない報道姿勢に拠るものであり、
単なる正義論からの批判ではありません。
自らが現場へ赴き、直接取材の中から、見えない事実をつかみ取ろうとする。
そこから導き出される、メディアとしてのジャーナリズムとしての批判、
戦争への疑問であったと思う。


報道会社にとって視聴率は命であり、世論を敵に回す行為は命取り。
反対に政府迎合のテレビ局は、うなぎ登りで視聴率が高くなっていきます。
しかし、米国政府が主張していた核兵器製造の事実は無かった。
イラク戦争が、根拠のないものであった事が明らかになったわけです。
恐ろしいほどの犠牲と破壊、そして不信感の増大、既に取り返しはつきません。


この番組は既成メディアの姿勢や、それを見る側の視点、
つまり視聴者側の関心の方向を、静かに鋭く問うものになっておりました。
(いかに我々が、日常において盲目的になれるかを意識する意味で)
しかし、このような外交政策を幾度となく繰り返してきた米国は多分、
今後も自らの都合による情報と作戦と武力行使によって、
戦争行為を正当化し、実行し続けるに違いない。
(ジェニングスは過去に、なぜ広島に原爆を落としたかも取り上げていた)


何故かこの番組を見た後、悲しくなってしまいました。
ジェニングスが、この世からいなくなってしまったから?
ますます右傾化する社会に歯止めをかけられなかった、
自他への情けなさからか。
総選挙後、さらにヒシヒシと感じだしたキナ臭さへの不安と恐怖は、
イラクやその他の戦争地域での民衆から見れば、他愛のない不安なのだろうか。


「すべての人にとって絶対的な真実はないということです。
 だからコインを見る時には、いつも本能的にもう一方の側も見ようとします。」
(故ピーター・ジェニングス氏)

(あ、忘れてました、彼はカナダ人でした、そして高校中退でした)