ゴッホ、ゴッホ…(咳ではありません)→映画


昨日、ゴッホの伝記映画?を見ました。
昔の映画で、カーク・ダグラスゴッホ役、
ゴッホと同居するゴーギャンをアンソニー・クィーン(かな?)
がやってました。
(彼らもまだ若く、隔世の感を覚えました)
(こうやって年齢を感じていくのかね〜ヤダよ〜  (・・、)ヾ(^^ )よしよし)


ずっと前の映画かな、ケッコー事実に即してやったようです。
何よりも、絵に描かれている場面がその通り出てくるのは凄かった。
(家に子どもたちが模写した絵があるから、思わずヘェー)
あ〜、あんな風景のところで描いたのかも…、と、思って
知らないうちにテレビ画面に引き込まれておりました。
(それだけでも、なんか得したような?ウレシイ気分)


心理描写があまり見られない、というか
淡々と進み、ゴッホの耳を落とす場面へと向かうが、
ことさらに、その訳を探らない。
ゴーギャンとの人間関係のもつれがあることは判るが、
深めていない(深められない?)、でもそれが却って良かったのかも。


二人の画家の性格の対比を、役者の演技の集中度、成りきり、個性によって
うまく表現されていたように思う。
(俳優って、ウマイ人はうまいんだね、舞台っぽかったけど)
それにしても音楽は頂けなかったが、(大袈裟で、メリハリがない)
(演出と同様、音楽も裏方だっていう要素が強い感じだね)
古い画面にはあってるのかもしれないが…。


記録映画のような伝記映画というか、現代にはほとんど見られない
役者の演技でゴッホの精神性を、演じきったような映画だった。
努めて事実性を大事にしつつ、役者に頼りきる。


現代はそれは通じないかも。映画は総合芸術であり、監督の感性・知力
心理的推理等々特に、演出性(膨大な場面の配置)を通じて、
俳優たちの個性的演技も部分としてトータライズ、色づけされていく。
(スゴイねぇ、総合だよ〜、トータルだからねぇ   (☆o☆)。。。)
(その方がタブン、役者たちもいろんな役ができるんじゃない?)
(もしかしたら、ブログやホームページ作りだって同じかもしれない)


もう、やーめた。(わかんなくなってきた)
今日は久しぶりに見た映画でやんした。