加害者になれ、被害者になるな?

木曜日の報道ステーションで、ある女性が24歳の時身体中に油をかけられ、
火をつけられた事件を取り上げていた。
事件時加害者は、被害者に被害者自らの引火責任を強制している。
その加害者は懲役6年で、今、結婚し子どもがいるという。


2002年、国の加害者に対する税金使用は420億円に対し被害者は11億円。
この事件では、被害者は奇跡的に助かったが皮膚移植手術24回、自分の皮膚だけでは足りなくて父と兄の皮膚も移植した。
その病院代金、4百数十万は自己負担である。
加害者も火傷をしたが、税金でまかなわれ自己負担はない。


このような事件では、被害者は加害者に費用を請求できるが生活能力がないとどうしようもないという。
被害者は身体全体にケロイドが残り、事件の夢や加害者からの報復恐怖から心理的カウンセラーを受け、福祉保護を受けて生活している。
その保護も、自家用車の燃料代は使用禁止として指導してくる。
車ではなく電車やバスでの移動を強要する。
(生活空間の狭さは、不安と恐怖の源であるが。)


国のこのような犯罪への態度、制度に、加害者優位の意識を生じせしめ、支え、励まし、ますます加害者を増長させている社会状況を心強く嬉しく思う訳は無いが、そう思う人々がもしかしたら家庭にも、職場にも、隣人にも居るかと思うと不信感も募り、まことにホラーな世界である。
(仕方ないのか?)


つまり「力尽くで暴力(筋力や鉄砲だけでなく、制度や道徳も)を使って他人を攻撃する方が、得である」と思い込み、実行する個人や集団の集まりがある。
北朝○?テロ?ブ○シュ?○泉?の世界観。
おフランスだってそうだよ)
御多分に漏れず、ワタシもそうかもしれない。
それはいずれ、その狂った力が自分に回帰していくような気がする、
我が身を滅ぼすものとして。


オオ、コワ。
(何もしないで、寝ていよーっと。)