全体主義からの逃走

最近読んだ本から。

ハバナ・モード (Men are expendable (Vol.8))

ハバナ・モード (Men are expendable (Vol.8))

マスメディアの体質についても書かれている。
それが及ぼす、一般大衆への影響性。
それがもしかすると唯一、全体主義を形成するということ。

「マスメディアが、論議の前提を整備できない間に、いつの間にか、
 国論を一つに限定しないと国民の怒りが収まらないという非常事態を
 迎えてしまう。
 そこで全体主義が唯一の合理性として登場するだけなのだ。」
(p152)


これは恐ろしい指摘だが、つまり何が懸念されるか。
現在のマスメディアの状況は、国民の認識に根本的情報の慢性的不足化と、
欲求不満化を引き起こし、国民全体が自暴自棄に陥るきっかけになるということ。
見ていて見えない状態、ヒステリー状況というか。
専制国家の手段である情報統制のようなものだが、
その体質を、マスメディアはいつの間にか自らに抱えている。
(その状況を、指摘すべきである立場にもかかわらず)
つまり、結果として国民の無情報的慢性化を実行している。
永久にダラダラと批評家的解説だけを続ける、
定見定まらない八方美人型、官報追随マスメディア。


ではどうするか、マスメディアの利用の仕方を獲得する。
表面的情報に左右されないよう、必要な部分だけを使う。
ま、何でもそうだね、食べ物だって栄養と毒を併せ持つし。

なるべく種類を多く早く見て、必要なものだけ取り込む。
ファイル化してもいいが、ゴミになることもある。
一部資料として、自分の発信に使う。
つまり、表層的情報の比較と観察によって、世論動向の資料にする。


村上龍の、マスメディア体質に対する諦観を感じるが、
右傾化に向かう危惧をどう考えるのかなぁ、シャープな作家として。
政治的発言は、確かにちょっと怖いけどね、スタンプ押されるし。
(有名人の発言はすぐに反応があり、暴力も付き物だろう)
下手くそ外交の小泉首相、と発言はしてますが。